デザインというものについて考えてみた。
デザインと聞くと、ロゴのデザインとかサイトのデザインといった風に表面的なものを思い浮かべると思う。料理でいうと盛り付けもデザインかもしれない。
でも、僕は料理人として、そういう表面的なものだけではなく、料理人が生産者の想いのこもった食材を食べ手が喜ぶように調理する、その一連の流れもデザインだと思っている。
料理人は食をデザインをしているのだと考えている。
そう思うようになった経緯を少しだけ話してみる。
だいぶん遡るが、僕が27歳の時、フランスから帰国して都内のとあるレストランのシェフに就任した。
僕がフランスで働いている時に日本のレストランオーナーからスカウトされて帰国してのこと。
100席もある大きめのフレンチレストランだったが、フランス帰りの若きシェフということで期待もされていたし、僕自身もいくつもの星つきレストランで修行を積んだのだからと腕には自信があった。
だけど、すぐに業績という壁が僕の前に立ちはだかった。
100席を埋めるのは至難の業だった。
その時、料理はアートなのか商品なのかということを考えた。いや、悩んだ。
表現するという意味ではアートだけど、店を繁盛させるには商品じゃないと難しい、そんな葛藤に苦しんだんだ。
そして、意を決して33歳で独立した。
麻布十番という一等地に店を構えたのだ。大きな借金をして。
経営者となった僕は、料理はアートでも商品でも、そのどちらでもないという結論に至った。
というか、そのどちらでもあるの方が近いかもしれない。
料理そのものにフォーカスするだけでは、僕の能力ではお店の経営を維持することが出来ないということに気づいたからだ。
そして、料理そのものから料理人という人生に、一歩下がって俯瞰することで、料理人が料理をするという、その一連の流れはデザインではないかと思うようになった。
だから、料理人の仕事は僕にとってデザインするということだと今は思っている。
生産者の想いをお客様の喜びに変えるためのデザインだと思っている。
先日、グラフィックデザイナーとプロダクトデザイナーの2人の有名なデザイナーと仕事をする機会に恵まれ、彼らとデザインについて議論した。
デザインとは役に立つものから意味のあるもの昇華させることだと、そんな話で盛り上がった。
デザインとは、意味を与えること。
だから料理人は食材に意味を与えることが仕事なのだと思う。
アートなのか商品なのかとか、そんな答えのないようなことにはもう悩まずに、デザイナーとして、クリエイターとして、世の中に意味のあるものを創り出していくことに集中しよう。
僕にとって料理人とは食をデザインするクリエーターという仕事だから。
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